家族の介護『お母さん、デイサービス行こうよ!』現役ケアマネージャーも困った介護の悩み

末期がんの介護体験談ブログ

スキルス性胃がん71歳の父の介護(看取り)

 

 

父のスキルス性胃がんは診断された時点でステージ4にほぼ近いステージ3。

 

末期だと思ってくださいと主治医に言われ、胃の全摘出手術をして余命半年との宣告でした。

 

手術をしない場合は余命3ヶ月。
本人には胃がんとは告知しましたが、軽度で手術をすれば完治すると伝え、介護が始まりました。

 

手術自体は成功でしたが、全身のリンパ節にもがんの転移があり、抗がん剤治療を行っても余命が延びることは期待できないとの話し。

 

その他にも肝臓と腎臓に転移があるとのこと。

 

胃の前摘出手術をして、点滴の抗がん剤治療が終わり2ヶ月ほどで退院して家に戻りましたが、手術の影響で腸閉塞になり、入退院を繰り返すことになります。

 

入院するたびに痩せ細り、体重は34kg。
身長も160cmなので大きくはありませんが、約3ヶ月で20kg近く痩せました。

 

それでも父は、じきに元気になる。
たくさん食べられるようになれば元気になると信じ、良く噛んで食べては下痢をして、血糖コントロールがうまくできないのか、血圧の影響かわかりませんが、よく貧血で倒れたりしながらも食べることを頑張っていました。

 

 

末期がん、余命半年の宣告でしたが、半年が過ぎて状態が安定してきたのです。

 

錠剤の抗がん剤はサイクルでずっと飲み続けていましたが、自分で車を運転して友人に会いにいったり、母とお墓を見にいったりしてました。

 

家族は誰も余命のことは言わないけど、何となく気付いていたのだと思います。

 

ただ、状態が安定していたのは束の間で、すぐに悪化。
腹膜播種と胆管の詰まり、この時点で余命1ヶ月と宣告されました。

 

がんの転移は全身の臓器にまで及んでいて、手のほどこしようがないけど、胆管の詰まりを取り除くためにステントを入れてあげると主治医が言い、手術をしたのですが、ステントは入らなったのです。

 

本人は手術に失敗したと、今まで見せたことのない落ち込みで、この時長くないと悟ったようです。
ステントの手術から3日後くらいに主治医に家族だけ呼ばれ、「家に帰るなら今ですよ。」とのこと。

 

帰るなら、病院が運営している系列の居宅介護支援センター(ケアマネ)への連絡、主治医の意見書もすぐに作成してあげるから、介護保険の申請に今日にでも行ってきなさいと主治医に言われ、あわてて市役所へ行ったのを覚えています。

 

その日のうちにケアマネージャーから挨拶の連絡があり、2日後の退院に合わせて介護ベッドも準備してくれるとの話し。
本人は大げさにするなと嫌がっていましたが、実際電動の介護ベッドが来たら上げ下げして喜んでいました。

 

また、主治医から、家へ帰るということは自宅で看取るということになるので、訪問診療を行っている医院を紹介する。
紹介状は今日作成するから、市役所へ行ったあとはその医院へ紹介状を持っていくようにといわれました。

 

そして退院。
退院の時の余命は3日〜2週間です。

 

 

自宅へ帰ると、訪問看護の方が待っていてくれました。
本人がお風呂に入りたいと言っていたのですが体調が悪く、足浴と清拭をしてもらいさっぱりした様子。

 

この時、父は歩くのがやっと。
トイレにはなんとか行けてましたが、本人の希望でリハビリパンツに履き替え、介護ベッドによこになると1日のほとんどを寝て過ごすようになりました。

 

訪問診療の医師や、看護師、ケアマネージャーは本当に手際よく遅れのないように対応してくれて、毎日感謝でいっぱい。

 

「このままもしかしたら長生きできるかも。」先生は大げさに言っただけで、本当はもっと長生きできるのかもしれないと、思っていたのもつかの間、それから1週間後、夜中にトイレに行こうとして父は転倒し、起き上がれなくなりました。

 

倒れた父を担ぎベッドに連れていったあと、父の意識はもう戻りませんでした。

 

訪問診療医と訪問看護ステーションに電話をして、すぐに来てくれるようにお願いしましたが、先生は学会、看護師は先生の診断を待つしかないとのこと。

 

家族は呼吸が荒くなる父を見て、声を掛けるくらいしかできません。

 

その後数時間して父は亡くなりました。
自分の建てた大好きな家で、家族全員に囲まれて逝ったのは幸せだったのかもしれませんが、家族は腑に落ちない思いが残ったのです。

 

なんで最期の時に先生や看護師は来てくれなかったのだろうと。

 

でも、今になっては分ります。

 

自宅での看取りとはそういうことなのです。

 

先生が学会に参加していなければ来てくれたと思いますが、それでもきっと同じ。
もう、何も治療することがないのですから、先生も家族と一緒に見ているだけだったと思います。

 

息を引き取るのを待って、死亡時刻を確認・診断するだけ。

 

看護師の方は先生の死亡診断を外で待っていたのでしょう。
30分くらいして訪問され、エンゼルケアを行ってくれました。

 

今も、父を病院や施設で看取りを行ったらどうだっただろうと、たまに考えます。
なぜなら、中学生の子供はあまりのショックに、父が亡くなってから2週間口が効けなくなってしまったからです。

 

でも、父は自分が手入れした大好きな植木のある庭を眺めながら、最期の10日間を過ごせたので幸せだったのではないかと思うようにしています。

 

末期がんで亡くなる場合は、ほとんど最期までトイレなどは自立しているので、病院の送り迎えや付添い、最期のころは食事をくちに運んだり水分摂取を手伝ったりするくらいしか介護はしていませんが、末期がんと分ってから1年足らずで亡くなってしまった父の介護の思い出は、私の人生の中でも非常に濃い記憶として残っています。

 

 

この時の利用した介護保険サービスなど

 

・訪問診療(医療)
・訪問看護
・福祉用具

 

 

家族で介護をする場合、他にどんな介護保険サービスを利用するのがよいか

 

・もう少し早い段階であれば、看護小規模多機能居宅介護を利用するということも考えられます。
ただし、通所(通い)のサービスが中心なので、本人の体調や状態にもよります。

 

※詳細は小規模多機能型居宅介護(看護小規模多機能型居宅介護)でひとまとめをご覧ください。

 

 

施設入所を検討するとしたらどこが最適か?

 

・末期がんの方の場合は、看取りを行っている施設でないと受け入れが難しいと思われます。

 

最近は看取りを行う施設が増えてきましたので、以前より探しやすいと思いますが、困難な場合は専門家に依頼しましょう。

 

また、医療面でのケアも充実していることを視野に入れて考えることが大切です。

 

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